バ―――ってなった。

 

皆さん元気ですか。今日のことを書きます。

 

 

僕の周りには、サックスを吹く人が2人いる。

 

一人は後輩の女の子。一人は大学の先生。

 

その2人にサックスを借りて、吹かせてもらった。

 

リードを口にくわえる。

二人がリードって言ってたからたぶんリードっていうのだろう。

 

そのリードを思いっきり、吹く!!!

 

ならない!!!

 

吹く!!!!

 

ならない!!!やめる!!!!!

 

 

 

 

「下唇を巻いて、もっと奥まで加えろ。」と先生からの命令が。

 

吹いてみる。

 

ならない。

 

吹いてみる。

 

プッ…ッッピ

 

 

 

 

第1章「プッ…ッッピ」

 

鳴った。

 

そのままもう一回。

今度は思いっきり。

 

バーーーーーーーー

 

 

第2章「バ――――」

 

 

鳴った!!!!!!

 

 

 それはまるで、サックスの中の分厚い膜がやぶれるように。。

 

バ―――――――――

 

鳴るうーーーーーーーーーーーーー

 

 

力強く、ぶっとい音でバ―――――っとなる。

すごい。

 

バ―――――――――っと震える音で、バ―――――――――っとなる。

 

パワフルだ。

トランペットのようなパ――――でもない。

もっと図太く、もっと泥臭いような音でバ―――――っとなる。

 

気持ちよく、軽い興奮がずっと続いた。

 

 

そのあと後輩が銀河鉄道999の曲をサックスで吹いてくれました。

あのバ―――――がこんなに美しいメロディに変わるなんて。

軽やかな演奏で。力強さを残し、さわやかで。

 

それはそれは とっても素敵な気持ちになりました。

いいねえ。

 

 

後輩が撮ってくれた写真↓

 

f:id:keichange:20181109205219j:plain

 

 

 



「おまけにちょっとJazzの話」

 

Jazzは、本当はまったくオシャレな音楽ではない。

本当は、図太く、力強く、めちゃくちゃ汗をかく音楽だ。

イヤホンの音量をマックスにして、これでもかってくらい音漏れするような。

 

それくらい激しいのが「Jazz」。

 

それを教えてくれたのが、僕が愛してやまない「ララランド」と「BLUE GIANT」だ。

 

この話は近々に話そう。

 

以上、サックスを吹いてみたという報告でした!!!

 

 

 

 

 

 

 

「ニッポンがそんな国になってくれたら。」

 

1867年。

海援隊隊長の中岡慎太郎は、友人に呼び出された。

「見て欲しいものがある。」とだけ言われ、渋々部屋にあがった。

 

そして友人が「それ」を読み上げたとき、慎太郎はあまりに驚き、声も出なかった。

 

友人が全てを読み上げた後、慎太郎はその友人の胸ぐらを掴み、泣きながらこう叫んだと言われている。

 

「ニッポンがそんな国になってくれたら…!!!」

 

 

その友人が書きあげた新しい「政治の仕組み」。

慎太郎は泣いた。友人のその一枚の紙で。

 

その友人の名は「坂本龍馬」。

後に誰もが知っている偉人となる。

 

みなさんにも、龍馬が掲げた「それ」を見てもらいたい。8か条でできている。

 

名前は ”船中八策” 

 

  1. 政権を幕府から帝(みかど)に還し、幕府の支配を終わりにさせること(大政奉還
  2. 二つの議員を作り、みんなで話し合って政治を進めていくこと
  3. 身分が低くても、頭のいい者は政治に参加すること
  4. 異国との交渉を対等なものにし、不平等条約を改定すること
  5. 憲法を制定すること
  6. 海軍力を増強させること
  7. 異国から帝を守る御親兵を設置すること
  8. 金銀の交換レートを国内外で統一にし、物価を安定させること

 

これこそ坂本龍馬が提案した ”船中八策

後に明治政府の基本理念になる条文である。

 

船中八策’には、

「侍も商人も、そして百姓も、分け隔てなく政治に参加する。」ということが書かれている。

 

今でこそ、平等は当たり前。私たちがこの”船中八策”を読んでも、感動しないし、ましてや涙も流さない。

 

しかし当時にしたら龍馬が言っているこの”船中八策”。

どれだけ凄いことを言っているか。当時の百姓は決して口にしてはいけない、ましてや考えたこともない新しい世の中なのだ。

 

龍馬の周りにいた者も、涙を流し、そして激怒したという。

この条文がますます、坂本龍馬を危険にさらすことになるからだ。

当時の仕組みにすがっている者にとって、この”船中八策”は、決して都合のいいものではなかった。

 

そして5か月後、坂本龍馬中岡慎太郎は、暗殺される。

 

彼らが生きている間に、この世界が実現することはなかった。

 

 

 

「よい社会」の本質

 

 

実は、この”船中八策”に書かれている世界は、西洋の哲学者が考えた「よい社会」の本質なのだ。

 

人間はそれまで長い間、殺し合いをしてきた。

 

人は周りからの干渉がない「自然状態」にあった時、支配者と奴隷者という不平等な関係に陥ってしまう。

 

これを回避するために、編み出した原理が「契約(ルール)」である。

全員が社会契約を結ぶことで、「自然的自由」をお互いに制限し、その代わりに「市民的自由」を手に入れる。

 

簡単に言うと、「みんなに好き勝手な自由が許されてしまうと、金を奪うことも人を殺すこともOKになってしまうから(自然的自由)、お互いの自由を守るために(市民的自由)ルールを設定しよう!」ということ。

 

ルソーの「社会契約論」である。

(100年後に坂本龍馬が‘船中八策’を掲げる。)

 

法の下の平等」。全員が等しく自由に、自分の幸せを求められるような法律や制度を備えること。

 

今でこそ当たり前すぎて、特に何も思わないことだけれど。

ルソー、そして中岡慎太郎坂本龍馬。彼らがどれだけ今私たちが生きている世界を望んだのだろう。

 

 

まとめ

 

普通選挙で、僕らの意思で政治家を決められること。

累進課税で、所得の格差を緩和することができること。

義務教育で、すべての人が教育を受けることができること。

 

だれもが比較的「納得」できる環境が整っているこの民主主義。

 

この制度は、2000年以上もの歳月をかけて人類が見出した「よい社会」の本質であり、先祖たちが涙を流すほど願った制度なのである。

 

「ニッポンがそんな国になってくれたら。」

 

私が生きているこの環境は幾万の先祖たちの願いの上に成り立っているということ。

感謝して、深く考えていきたい。改めて。

 

 

" わしが作りたい世の中は、上司も下司もない平らな世の中ぜよ。"

ー 坂本龍馬 ー

 

 

おわり

 

 

 

あとがき

 

冒頭の坂本龍馬の‘船中八策’の話。実はNHK大河ドラマ龍馬伝」のワンシーンなんです。

中学校の時、社会科の先生が授業中にそのシーンを見してくれました。

当時はよく理解できなかったのですが

「おお、なんか男たちが….たかが一枚の紙を読んで号泣してるぞ….」

と、驚いたことを覚えています。

 

そのことをふと思い出して、どうしてももう一度見たかったので、「龍馬伝」を見返して探しまくりました。

そしてついに見つけた!! 43話にありました。

船中八策’を読み上げる「坂本龍馬」役の福山雅治さんと、それに泣く「中岡慎太郎」役の上川隆也さん。

二人のとてつもない名演技。もう一度言います。とてつもない名演技。もう一度言います。とてつもない名演技。文字おおきくしてもう一度言います。

とてつもない名演技。

 

さいっっこうのシーンですね。ほんとにカッコいい。

そのシーンを見たい方は僕に言ってください。

 

グッとくるものがありました。

僕が生きてるこの国の制度、改めて考えていかなければなぁ。そんなふうに思ってます。

 

以上、2か月ぶりに更新したブログでした。

ここまで読んでくれた方、ありがとう!!!

 

 

 

 

 

ウズベキスタンに行って本当に伝えたかったこと。

 

皆さんこんにちは。

渓です。

 

今年の2月にウズベキスタンに行ってきました。

 

そこに行って感じたこと、考えたことを伝えたくて動画を作ってみたんです。

 

ちょうどウズベキスタンの活動を報告できるイベントがあったので、それに向けて作りました。

  

僕としては満足いく出来栄えでした。

カッコいいオープニング、感動のエンディング、そして僕が伝えたかったことをミスチルの曲とともに。。。

 

こりゃあ良いものができた。報告会が楽しみだ。

 

本番。20人くらいの参加者。真っ暗な部屋、シーンとした雰囲気。

前にある巨大なスクリーンに僕の動画が流れました。

 

 【速報】衝撃事実。あんま伝わってなかった。

 

よし、これで自分の伝えたかったことは伝わった。満足。

 

3日後、その動画を見た後輩に、その動画で伝えたかった趣旨を伝えました。

 

すると衝撃的な発言が、、

 

後輩「あ、そういうことが伝えたかったんですね。」

俺「うん。  え?」

 

伝わったと思ったら、あんまり伝わっていなかったのです。

 

なので、この場を借りて、僕が本当に伝えたかったことを言います。

 

【僕が本当に言いたかったこと。】

 

ウズベキスタンで出会った女の子が言いました。

 

「私達はイスラム教だから、恋人ができても外で二人で歩いてはいけないの。日本人が羨ましい。」

 

びっくりしました。ほんとにびっくりしました。

 

この言葉の何に驚いたのか、皆さんは分かりますか?

 

僕が驚いたのは、

 

「日本人が羨ましい。」という言葉。

 

これ、すごいことを言っていないですか?

 

外国の文化を知らなかったら、そんなことすら思わなかったはずなんです。

 

外を知らなかったら、自分の文化・宗教に疑問を持たなかったはずなんです。

 

昔だったら、自分の環境は「あたりまえ」でしかなかったと思います。

 

国際化が進むこの時代。

外国の文化を知ってしまったことで、自分の文化、ましてや宗教に疑問を持ったのです。

 

イスラムの人は、イスラム教を崇高している。

日本人からしたら当たり前の事実です。

子供のころからそう教えられました。

 宗教に入っている人はその宗教を信仰しているものだと思っていました。

 

しかし、今回ウズベキスタンに行って分かったこと。

 

イスラム教の人がイスラム教に疑問を持っている。

 

自分の家系の宗教に、疑問を持つのは、外の影響から来るしかないと思うんです。

 

このままグローバル化が進めば、ウズベキスタンで出会った彼女のように、

自分がいる環境に対して「あれ?」と思う者が必ず出てくる。

 

そして、その者の中から自分が置かれている状況に対して、「我慢できない者」が出てくる。

 

「変えようとする者」が現れる。

 

歴史から見ても

「支配される者」は、長い歴史で見れば必ず「支配する者」に戦いを挑んでいる。

挑まなかったものはいない。

 

それは、人間の中に「自由」への欲望があるからです。

 

人間は「自由」を我慢することができない生き物なんです。

 

 

宗教はこれからどうなっていくのか。

文化はこれからどうなっていくのか。

 

もしその宗教が、文化が、自分にとって「制限するもの」となっているのなら、必ず「変えようとする者」が現れるのではないでしょうか。

 

国際化とは、互いの「よい」を共有していくこと。

そして、より多くの者が考える「よい」に、一緒に進んでいくこと。だと思うのです。

 

つまりそれはこう言えるのではないでしょうか。

 

このまま国際化が進めば、世界の文化・宗教は、「似たようなもの」になっていく。

 

 

 

【まとめ】

 

僕は無神論者です。

神を信仰するということが分かりません。

 

文化を継承するということもよく分かりません。

 

だからもしかしたら、このブログで書いたことは、とてもケタ違いなことを言っているのかもしれないです。

 

でも、これが今回のウズベキスタンに行って感じたことであり、

僕が動画で伝えたかったことです。

 

 

 

是非これを読んで感じたこと、皆さんの意見を聞かしてください!

 

 

以上です!

ありがとうございました!

 

ではまた!

 

 

(友達にこの文を見せたらいっぺんに書き過ぎだって言われました。伝えるって難しいですね!)

 

 

 

 

 

 

 

 

人生が怖くてたまらない時があるのです。

 

2018年1月のとある日。

 

スケジュール帳を開いていました。

 

「再来週、友達と山登りだ!キター!」

 

とっても大好きな友達何人かで、山登りに行く予定がありました。

タノシミ。ワクワク。

 

30秒後、あることを思い出します。

 

山登りの3日後、模擬授業だ。。

 

瞬間、発作のようにこの小さな不安が、
俺のアタマ全てをブワーーーーーっと覆い尽くすのです。

 

そして、こういう思考になり始めます。

 

今後、どれだけ楽しい経験をしようと、

その先には必ず、苦しいこと、辛いことが待ってるんだ。

 

じゃあ俺いま、楽しいことしても意味ないんじゃないか。

 

いま、辛いことを乗り越えても

その先、何度も何度も、また辛いことが待っていて。。

 

 

 

え、そんな重く捉えなくてよくね?

って思いますよね笑

 

でも、本気で吐き気がするんです。 

 

怖くて怖くて、たまらないんです。

 

この先のよく分からない「何か」に
 とてつもない恐怖がやってきます。

 

怖くてたまらないんです。

 

この先やっていけるのか。

不安がどんどん膨らんでいきます。

 

ひどい時は心が病んでしまいそうになります。

 

なにもかもが怖くなって、すべてが無気力になります。

 

楽しいことを考えようとしても、考えられなくなります。

 

ただ、漠然とした巨大な不安と恐怖に頭のすべてが侵食されていくのです。

 

 

 

これが、月1ペースで来ます。

 

ずっと我慢してるといつのまにか治ってます。

 

そうやっていくうちに

また一つ、また一つと自信を失っていくのです。

 

 

 

さて、ここから大事なことを書きます。

 

本を読んでたらこんなことが書いてありました。

 

「超人」を目指そう。

 

「超人」とは永劫回帰を受け入れ、新しい価値を見出せる者。

 

ん?永劫回帰とは。。

 

Wikipediaで調べてみました。

 

永劫回帰とは
”ある瞬間と全く同じ瞬間が、次々に永劫的に繰り返されること。
いまもし辛いことを乗り越えたとしても、また苦しみや悲しみは襲ってくる。”

 

これだ..... ワロタw おれダw


ずっと悩んできたことが本に書いてありました。


 哲学者ニーチェの言葉でした。

 

その本で、彼はこう言っていました。
少し長いですが、ぜひ読んでみてください。

 

 

永劫回帰に陥ったものは、

どうせ頑張っても無駄。しょうがないと無気力になる。

 

解決方法は一つしかない。

 

永劫回帰を受け入れること。

これは私が望んで欲したことだと思ってみること。

 

それは難しい。それでもそう思ってみること。

 

超人を目指す。

超人とは、永劫回帰を受け入れ新しい価値を創造できる者。

それが丸ごと自分の人生だと受け入れられること。

 

永劫回帰を受け入れる。
それはまさに 「運命愛」

 

ゴール(何かの)までのスタートラインは皆それぞれ違う。

能力に恵まれ、ゴールから近い所でスタートする者。

遠いところからスタートする者。

 

後者は損してる。と言えるだろうか。

 

それはゴールまでの道のりを考えた場合に限る。

遠くにいる人にしか見られない景色、
感じられない人の声援の温かさ。

今自分がいる場所、スタートライン、それらを含めて愛すこと。
それが運命愛。

 

自分に誇りを持とう。

傷ついても、報われなくても、負けてしまっても、辛くても、
力強く、快活に生きる。

 

積極的ニヒリストとして。

 

人生を危険に晒すのだ。

 

 

100年以上も前の人からのエールでした。

 

僕は、この言葉にどれほど救われたか。

 

僕の悩みは何百年も前から人間が悩んできたことでした。

俺だけじゃないんだ。

 

とても安心しました。

 

「哲学」はすごい。

 

その学問は、様々な物事の本質をとらえる営み。

愛とはなにか。生きる意味とはなにか。

 

「宗教」はそれを「神話」という形で答えを出します。

「哲学」は2500年間、人間の力だけで考え続けて答えを出してきました。

 

ずーーっと考えてきました。

いわゆる人間が人間のために作りあげた「生き方の教科書」。

 

それもどんどん改良されていく教科書。

いま私達は、改良し続けて2500年目の時代に生きています。

「哲学」については今後の記事でまた詳しく書いていこうと思います。

 

 

 

さて、今回の「永劫回帰」。

もしかしたら僕と同じ経験をしている方もいるかもしれません。

 

そんなときは、上のニーチェの言葉を思い出してみてください。

 

運命愛。

今後の人生、起こりうる事すべてを受け入れていけたらいいな。

そう思っています。

 

自分の運命を愛することができるように。

「超人」を目指しながら。

 

 

以上です。ここまで読んでくれた方、ありがとうございました!

それでは!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ついにブログ。始動。

 

というカッコいいタイトルで初めてみましたが、

 

 

とくにアツい思いもなく、始まりました!

 

 

 

祝!!

 

 

 

「え、ブログやってるの、、あ、おふ。。」

 

 

 

これ、去年までの僕です。

 

 

ブログというと、イメージ的には

 

・すげー調子乗ってるおねえさん

・すげー調子乗ってるおにいさん

 

というイメージが強かったです。

 

 

 

でもね

 

 

 

ふとおもった。

 

 

 

じぶんのきもち。かたちにして残したい。

 

 

 

じぶんが思ったこと、感じたこと、考えたこと。

 

それって、実はすごい価値のあるものなんじゃないかな。

 

 

なぜ価値があるかというと。

 

 

 

 

 

山道にある「やじるしの看板」を立てるようなもの。だと思う。

 

どんどん登って、振り返ったとき

「やじるしの看板」が立ってたら、

 

 

 

ああ。そうか。俺 あの時こっちの道に進んだから、

いま、こうなってるのか。

 

とか

 

そうだ。俺はこの道を進んでたはずだ。

なんでいまこの道にいるんだろう。

 

 

そんなふうに、

いつでも「今その道を歩いている自分」を見つめなおすことができる。

 

 

ひとつめはこれが理由↑

 

 

そしてもう一つ。

 

 

これが「ブログ」という手段を使った理由。

 

 

僕が立てた「やじるしの看板」をみなさんが見て

 

 

ああ、こんな道があるんだ。

 

え?その道、やめたほうがよくない?

 

 

とか指摘してくれるから。

 

 

 

 

はい、以上です!

 

僕なりに良い例えでしたね。

 

初回から絶好調です。

 

 

それでは、これからがんばります!!

 

よろしくお願いします!